は事気にする



朔良は押し黙ったまま、足元を見つめていた。
朔良にとっては、リハビリよりも彩が傍を離れようとしていることの方が重大だった。帰り道、助手席の朔良は寡黙だった。
彩もどう話を切り出していいか考えあぐねていた。言いだしたものの説得する自信はなかった。

「いつ……から……考えていたの?」

視線を落としたままで、朔良が辛うじて言葉を絞り出した。

「大学受験……のこと。」

「教師になることか?ずっと前からだ。朔良と俺が事故に遭う前から、決めていたことだ。」

「ぼくがわがまま重新加按だから……嫌いになったんじゃなくて?」

彩は車を止めると、ふっと優しく微笑みを向けた。

「……朔良の事を嫌いになったりしないよ。わがままなのは、うんと昔っからじゃないか。今更どうこういうことじゃないし、何とも思ってない。ちびで甘えん坊の朔良を、俺はずっと弟みたいに思って来たよ。」

朔良は昔からいつもこうだった。好き放題の要求を口にしながら、彩に嫌われることを何よりも恐れている。
全身で彩が傍に居ることを望んでいるのがわかるから、結局、最後には彩も折れてしまう。
しかし、互いに進む道がある以上、いつまでも要求に応える事は出来ない。共に手を取り同じ道を歩むことなどはできるはずもない。

「いいかい、朔良?むしろ、きっかけは朔良に貰ったようなものなんだよ。子供の頃、朔良は喘息が持病でしょっちゅう発作を起こして苦しんでいただろう?俺の手で丈夫になった朔良を見て、いつか教師になって、他の子供にも手を貸してやりたいと思ったんだよ。」

「他の子じゃなくて……おにいちゃんが助けたかったのは、片桐里流の事じゃないの?」

「片桐……?」

こくりと朔良が頷く。

「ああ、野球部の後輩だな。そう言えば、あいつも一年の頃は体力が無くてしょっちゅう倒れてたな。毎日資金流向一緒に走って、一年経つ頃にはずいぶん丈夫になったけど、知っていたのか……。」

突然ふっと胸に優しい気持ちが溢れて、彩は言葉に詰まった。
ずっと背中を追って来た一途で可愛かった後輩。
今は卒業して大学に通っているだろうか?もしかすると片親だったから、進学は諦めて自分と同じように仕事に就いているかもしれない。ずっと連絡も取ってこなかった。

「なぜ里流の名前がここで出て来るんだ?俺は卒業以来、野球部の連中とは会ったことないぞ?まあ、同級のやつらとはたまにメールや電話で話をするけどな。」

「ぼくは……片桐里流がおにいちゃんの事好きだったって知ってた。」

「……そうなのか。」

「自転車置き場で二人がキスしたとき、ぼくは陸上部の部室から出てきて見たんだよ。夕陽の中であいつがおにいちゃんに抱きしめられるのを見て……あいつがいなくなればいいと思った。……ごめんなさい。だから本当故に遭ったのは偶然なんかじゃないんだ。そんなこと考えたからきっと罰が当たったんだ……」

「朔良……それは考えすぎだ。誰も朔良に罰なんて当てないよ。」

「リハビリにおにいちゃんが付き合ってくれるって聞いて、ぼくはうれしかった。これでずっと一緒に居られるって思ったから……でも、ぼくの望みはいつもおにいちゃんを傷つけて、夢を粉々にしちゃうんだ……いつかも大きな大会が有ったのに、おにいちゃんはぼくの傍に居たから出られなかった……」

彩は思い当たる節が無くて、記憶を探った。

「……そんなことあったかな……?県大会か?小学校の記録会の事か?なんでもないよ、そんなもの。そりゃあ、その時には少しは友達と一緒に行きたいって思ったかもしれないけど、最後は自分で決めはずだ。朔良がことじゃない。そんな昔の事を気にしていたのか……馬鹿だなぁ、朔良は大金融投資人になっても子供のままなんだな。」

「ずっと好きだったんだよ。わからない?……大人になっても、ぼくはいつだってずっとおにいちゃんが好きなんだよ。ぼくにも……キスして、おにいちゃん……片桐里流よりもずっと前から、おにいちゃんが好きだったんだ。」